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煙草と眼鏡② [アドラー心理学]




この本の書き出しは確か(誰かに貸したまま、手元にはない)この筆者がいかに重篤な煙草中毒であったか
が、書いてあり、また、筆者の惨めともいえる禁煙への数々のチャレンジと失敗が綴られていました。
そんな書き出しを読み
私は筆者に対し同情と共感を覚え、上から目線の啓蒙書ではないことを知ってホッとしたのを覚えています。
煙草の体への害をとくとくと説かれたり(そんなことはもう十分知っている!聞き飽きた)
煙草をやめられない意志の弱さを指摘したり
煙草のやめ方を「マニュアル」らしく説明したりするものでもありませんでした。

まず述べられているのは
「なぜやめられないのか?」でした。
煙草の(害ではなく)中毒がいかに強力なものであるのか、そのパワーを麻薬と比較したりします。
つまり、煙草を一度吸ったら、たいていの人はやめるのは非常に困難であるというのです。
やめられないのはその人の「意志」が弱いからではなく、煙草の中毒性が非常に強いものだからなのです。
そして、今でこそテレビコマーシャルに煙草は登場しないし、映画スターも映画の中でそれほど煙草を吸ったりしませんが、かつては「煙草はかっこいいし、吸えばホッとする、落ち着く。男らしい。」などの隠れたメッセージが
CMや映画、テレビドラマから暗示として子どもたちの目に、耳に、心に焼き付き、将来の喫煙者を作り、
喫煙者には喫煙し続けるるように働いていました。

ここまで読んで、自分は煙草を自分で選んで自分の意志で吸っていたのではなく、
はじめは興味本位で自分から吸ったものの、
後は中毒と暗示の思うがままに「吸わされて」いたことに気づかされます。

全くおいしくもない煙を、おいしいと思わされていた。
全然落ち着いているわけではないのに、落ち着いたように思わされていた。
周りはみんな迷惑しているのに、どこかでかっこいいと思っていた。
ニコチンが切れるとそれを渇望するよう体が作り直されてしまっていた。
積極的に煙草の良さを探すようになっていた。

被害者である自分に向き合います。

でも、そのとき私は
被害者のままでいるのではなく、被害者でいることをやめることも選択できるんだ、と、気づきました。

そういえば、この本に出会ったのはまだアドラー心理学に出会う前・・・
振り返ってみれば、禁煙への勇気づけに満ちた本であったと思います。

To be continue・・・





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