超 大雪!実況21:40 [田舎暮らし]
すごい!
12,3年前に降った1月の大雪に匹敵するくらいの勢いで
ザーっと降っている。
現時点で40センチに届かんとしている。このまま朝まで降り続いたら・・・。
雪好きではあるが、雪かきを考えると思いやられる。
でも、このワクワク感は、雪国育ちでないせいか、
それともドーパミンのせいか?
夕方5時半頃の学校近くの牧草地の様子をアップしよう。
鹿の背中にも雪が積もっている。
12,3年前に降った1月の大雪に匹敵するくらいの勢いで
ザーっと降っている。
現時点で40センチに届かんとしている。このまま朝まで降り続いたら・・・。
雪好きではあるが、雪かきを考えると思いやられる。
でも、このワクワク感は、雪国育ちでないせいか、
それともドーパミンのせいか?
夕方5時半頃の学校近くの牧草地の様子をアップしよう。
鹿の背中にも雪が積もっている。
タグ:大雪
上履きゲーム [教室]
こんなことがあった。
「先生、靴が出しっぱなしにしてあったので、持ってきましたが・・・。」
と、同僚が下駄箱の前に脱ぎっぱなしにしてあった靴を職員室に持ってきてくれた。
誰の靴がないかを確認して、入れておいてくれれば良いものを、わざわざ持ってきたのには理由がある。
職員室に引き上げておいて、困ったこどもが職員室に来たとき
「ちゃんとしまっておきなさい」と指導するのが目的だ。
しかしこの指導、逆効果の場合も。
脱ぎっぱなしにした子どもの目的が、ゲームになってしまっている場合だ。
つまり、
脱ぎっぱなしにする。教師が見つける。職員室に引き上げる。取りに行く。
「困ったでしょう、今度からちゃんとしまっておきなさい。」「はい」
と指導を受ける。
こんな繰り返されるゲーム。
・・・
実は困っていない。もしかしたら、無意識的に味を占めているのかもしれない。
さて、私はどう指導したか。
はじめは実は同僚と同じように引き上げたこともあった。
また、他の教師に引き上げられているのも見たことがあった。
どうなったか。
そのこどもは今度、上履きを履かなくなったのである。しかも、
どこでもかしこでも、適当なところで脱いでそのまま・・・。
適当というのは正確ではない。
教師の目につくところに脱ぐのである。
「Aさん、~に上履き脱ぎっぱなしだったよ。ちゃんと取りに行ってはきなさい。」
何回か繰り返されるうちに、
これは不適切な行動への注目だ・・・
と気づき、こんどは見かけても知らん顔することに・・・
結果は全く効果なし。
実は、無視することも注目なのだ。無理をしてみて見ぬふりをしている
私の様子をAさんは観察している。
私たちは大人に対してどうだろう。
どこかに脱ぎ忘れた靴があったら、目立つように置くとか、
「誰のですか~?」と聞くとかするのではないか?
どこかに持って行ってしまって困らせたりはしないだろう。
ちゃんと下駄箱に戻しておいてあげればいい。
Aさんのいる教室に持って行ってあげればいい。
かかとがつぶれていたら、直してあげればいい。
「ほら、おきっぱなしだったぞ、ちゃんとはけ、靴下汚れるだろう。」
と手渡す。
Aさんには適切だった。何回か繰り返したが
そのうち脱ぎ散らかしはなくなった。
先日、Aさんに
「最近上履き、ちゃんとはくようになったね。」
というと
「うん、でもかかとがまだなんだ・・・」
といっていた。かかとを私が直していたことにもちゃんと気づいていた。
罰や恥では子どもは変わらない。
隣人にするように、当たり前のことをすればいい。
「先生、靴が出しっぱなしにしてあったので、持ってきましたが・・・。」
と、同僚が下駄箱の前に脱ぎっぱなしにしてあった靴を職員室に持ってきてくれた。
誰の靴がないかを確認して、入れておいてくれれば良いものを、わざわざ持ってきたのには理由がある。
職員室に引き上げておいて、困ったこどもが職員室に来たとき
「ちゃんとしまっておきなさい」と指導するのが目的だ。
しかしこの指導、逆効果の場合も。
脱ぎっぱなしにした子どもの目的が、ゲームになってしまっている場合だ。
つまり、
脱ぎっぱなしにする。教師が見つける。職員室に引き上げる。取りに行く。
「困ったでしょう、今度からちゃんとしまっておきなさい。」「はい」
と指導を受ける。
こんな繰り返されるゲーム。
・・・
実は困っていない。もしかしたら、無意識的に味を占めているのかもしれない。
さて、私はどう指導したか。
はじめは実は同僚と同じように引き上げたこともあった。
また、他の教師に引き上げられているのも見たことがあった。
どうなったか。
そのこどもは今度、上履きを履かなくなったのである。しかも、
どこでもかしこでも、適当なところで脱いでそのまま・・・。
適当というのは正確ではない。
教師の目につくところに脱ぐのである。
「Aさん、~に上履き脱ぎっぱなしだったよ。ちゃんと取りに行ってはきなさい。」
何回か繰り返されるうちに、
これは不適切な行動への注目だ・・・
と気づき、こんどは見かけても知らん顔することに・・・
結果は全く効果なし。
実は、無視することも注目なのだ。無理をしてみて見ぬふりをしている
私の様子をAさんは観察している。
私たちは大人に対してどうだろう。
どこかに脱ぎ忘れた靴があったら、目立つように置くとか、
「誰のですか~?」と聞くとかするのではないか?
どこかに持って行ってしまって困らせたりはしないだろう。
ちゃんと下駄箱に戻しておいてあげればいい。
Aさんのいる教室に持って行ってあげればいい。
かかとがつぶれていたら、直してあげればいい。
「ほら、おきっぱなしだったぞ、ちゃんとはけ、靴下汚れるだろう。」
と手渡す。
Aさんには適切だった。何回か繰り返したが
そのうち脱ぎ散らかしはなくなった。
先日、Aさんに
「最近上履き、ちゃんとはくようになったね。」
というと
「うん、でもかかとがまだなんだ・・・」
といっていた。かかとを私が直していたことにもちゃんと気づいていた。
罰や恥では子どもは変わらない。
隣人にするように、当たり前のことをすればいい。