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いじめの構造・・・ [教室]

森口朗氏の『いじめの構造』



を読みました。

精神分析学や心理学は神秘的要素が多く「心の文学的解釈」という側面があるので(「そういう一派が大きな力をもっているので」というべきでしょうか),「いじめの発生のメカニズム」はいつまでたっても解明できないかもしれません。

ふむふむ,アドラー心理学は,「そういう一派」ではなさそうだぞ・・・

学校の目的にしても,私が重視する「共同体意識の涵養」を,「中間団体による全体主義」として全否定しています。

おや?「共同体意識」だって・・・。「共同体感覚」ならアドラー心理学の概念だけど,定義を聞いてみたいですね。是非。それに全体主義との関連については,よくヒューマン・ギルドとか,アドラー心理学ベーシック講座とかで議論になる,あれでしょうね・・・。でも学校の目的が「共同体意識の涵養」っていうのは賛成。いいぞいいぞ。
また,いじめを,一貫して原因論ではなく目的論で論じているところにも大賛成。だけどスクールカーストの上昇や下降だけがその目的ではないよなぁ・・・。あまりに単純化しすぎているように思うのですがどうでしょう。

ちょっと先を読み続けたくなくなった,とても問題の一文

「どんなクラスにも嫌われ者はいます。」


・・・



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適応指導教室 [教室]

今日は久しぶりに大勢の子どもたちの声を聞き姿を見、なんだかホッとしました。

県内3カ所の県立の適応指導教室をまわり、話し合いをしてきました。
一緒にまわった職員と、「教育、福祉、心理」の三分野が一堂に集まった施設ができたらいいね
などと話しました。

ところで
どの適応指導教室にも、子どもたちの元気な笑顔と笑い声があり、不登校の状態であっても
本来持ち合わせている子どものエネルギーや明るさをかえってはじけさせているように感じました。
それと同時に、適応指導教室の門もたたけない子どもたちもとてもたくさんいることを実感し
その子どもたちやその家族の方々の助けになることはないだろうかと考えてしまいました。

改めて、「関係」で傷ついた子どもたちの傷を癒すのはやはり「関係」で
、その子どもが安心して自信を持って関われる人をひとり、二人と増やしていくことがたいせつだなと
感じました。
そんな、関係作りを日常の授業の中でできれば、授業の中での勇気づけが可能であると感じました。




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囲碁教室の先生 [教室]

子どもたちが通っている囲碁教室の先生は勇気づけ名人である。
だから子どもも大人もいつもたくさんきていて、賑やかだ。

詰め碁の宿題がかえってくると、表に4月2日16分の7、4月4日16分の10、4月6日16分の12、
といった具合に、正答率が書かれる。
たったこれだけで、宿題への意欲がわく。
はじめの16分の7は決してほめられた正答率ではない。44点だ。
でも、できている7問に注目し、これとこれは良くできたな、といって返す。

半分水が入ったコップのたとえ話ではないけれど
「44点しか」と考えるよりも、「44点も」と考えた方がいい、などという人がいるが
ダメでしょう、これは。
やっぱり本人は「44点しか」とどこかで思っているだろう。
そんなときに「44点も」といわれたら、バカにされたように感じるだろう。

できていることに注目して勇気づけるというのは
「44点も」といって苦しいリフレイミングをすることではないと思う。
「44点だったんだ。何ができたの?」とできていることに注目することだろう。
囲碁教室の先生のように
「これとこれは良くできた。」と単にできている事実を示すだけでもこれは
勇気づけである。




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図工・美術教育の大切さ・・・② [教室]

突然ですが・・・
かの、メラビアンの法則にもあるように、話し言葉によるコミュニケーションで
話し手が聴き手に与える印象の大きさは、言語情報:7%, 視覚情報:55%, 聴覚情
報:38%・・・

それに対して、今の学校では「学力」における言語能力の比重がますます大きく
なり、学力とコミュニケーションの乖離が激しさを増してきていると思います。
このまま、言語能力だけに偏った学力観がすすめば、言語は知っているけれどコ
ミュニケーションできない大人を作りかねません。

本来、色や形、音階やリズム、動き、等々は人間にとっての「言語」であったは
ずです。
それらを学び、人と人とのつながりを身につける場が「学校」であったはずです。

日能研はMI(MultipleIntelligence)理論の研究を進めていると聞きます。
とても、重要で、先進的なことだと思います。(さすが日能研!)
ただ、
日本の学校はもうすでに、とっくから、それらのことをじゅうぶんに踏まえバラ
ンスよく教科を配置してきたのではないでしょうか。

色や形(構成・変化・動き)を使ってのコミュニケーション=
美術的コミュニケーションの大切さ・・・


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図工・美術教育の大切さ [教室]

中学校で美術の時間が削られてきている。
私も、総合教育センターで図工・美術の研修も兼務する。
図工・美術は好きなので研修を担当することは嬉しいのだが
専門の担当は配置されないのである。



成果主義、ゆとりは目の敵

数値では表現できない成果がある。


しかし、世の中にはこんなに色や形があふれていて
こんなに多くの人たちが、色や形で様々なことを決定しているというのに
図工や美術を大切にしないでいいんだろうか。
大丈夫かなぁ?
とても心配だ。


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引っ越しのお手伝い [教室]

今日は引っ越しのお手伝いに数名の子どもたちがきてくれました。
みんな張り切って働いてくれて、思い出がまた一つ増えました。
「先生、進級おめでとうって書いていい?」
「いいこと考えたね~。新3年生は初めての2階だもんね。」
そんな話をして、みんなでおめでとうのメッセージを黒板いっぱいに書いてくれました。
黒板.jpg

余談ですが・・・
お昼はアフガンのベーコンカレー
見よ!この厚切り巨大ベーコン!
afugan2.jpg afugan.jpg
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離任式 [教室]

異動が決まった。
総合教育センター。

受け持っていたクラスの子どもたちは涙で見送ってくれた。
せめてもう一年、最高にすてきな子どもたちと
一緒に学びたかった。
私も涙をこらえることはできなかった。


でも、教育センターでの教育相談業務も
将来の夢ではあった。
(まさかこんなに早く実現するとは夢にも思っていなかったが)

もう一つの現場で
苦しみの中にいる子どもたちを勇気づける仕事をする。

運命は毅然と実行される。

もしかしたら、もう教壇に立つこともないのかもしれない。
そう考えると、最後にあの子どもたちに出会えたことは、
教師として本当に幸せなことであったと思う。
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ラストスパート [教室]

明日で今年度も終わり・・・修了式。
なのにまだ文集の製本作業終わっていません。
また学校に行って続きをしなければ・・・。

どんどんかける原稿用紙のおかげで
子どもたち、本当にどんどん書いてくれました。
ページがふくらみすぎ、ホチキス効かず
上下巻の二冊に・・・。

厚いだけでなく、中身も充実です。

家に戻ったらズンビーニ2が届いていました。
やりた~い。けれどおあずけです。
それから雑誌の原稿依頼も。
がんばらないとです。



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おすすめの漫画 [教室]

明日はおすすめの漫画の日です。

おすすめの漫画の日とは、
一人一冊、おすすめの漫画を学校に持ってきていい日。子どもたちと話し合って決めました。
ただし
おすすめの漫画をみんなに紹介してもらいます。
題名と作者名、気に入った箇所と感想。これらを入れながら紹介するというわけです。

休み時間、「先生話があるんだけどちょっときて」
というので、何事かと思って行ってみると
「明日、みんなにはまだ内緒なんだけど、ぼくが書いた漫画紹介したいんだけどいい?」
と聞かれました。
「もちろん!」

どんな漫画なのか、今から楽しみです。

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上履きゲーム [教室]

こんなことがあった。
「先生、靴が出しっぱなしにしてあったので、持ってきましたが・・・。」
と、同僚が下駄箱の前に脱ぎっぱなしにしてあった靴を職員室に持ってきてくれた。
誰の靴がないかを確認して、入れておいてくれれば良いものを、わざわざ持ってきたのには理由がある。
職員室に引き上げておいて、困ったこどもが職員室に来たとき
「ちゃんとしまっておきなさい」と指導するのが目的だ。
しかしこの指導、逆効果の場合も。
脱ぎっぱなしにした子どもの目的が、ゲームになってしまっている場合だ。
つまり、
脱ぎっぱなしにする。教師が見つける。職員室に引き上げる。取りに行く。
「困ったでしょう、今度からちゃんとしまっておきなさい。」「はい」
と指導を受ける。
こんな繰り返されるゲーム。
・・・
実は困っていない。もしかしたら、無意識的に味を占めているのかもしれない。
さて、私はどう指導したか。
はじめは実は同僚と同じように引き上げたこともあった。
また、他の教師に引き上げられているのも見たことがあった。
どうなったか。
そのこどもは今度、上履きを履かなくなったのである。しかも、
どこでもかしこでも、適当なところで脱いでそのまま・・・。
適当というのは正確ではない。
教師の目につくところに脱ぐのである。
「Aさん、~に上履き脱ぎっぱなしだったよ。ちゃんと取りに行ってはきなさい。」
何回か繰り返されるうちに、
これは不適切な行動への注目だ・・・
と気づき、こんどは見かけても知らん顔することに・・・
結果は全く効果なし。
実は、無視することも注目なのだ。無理をしてみて見ぬふりをしている
私の様子をAさんは観察している。

私たちは大人に対してどうだろう。
どこかに脱ぎ忘れた靴があったら、目立つように置くとか、
「誰のですか~?」と聞くとかするのではないか?
どこかに持って行ってしまって困らせたりはしないだろう。

ちゃんと下駄箱に戻しておいてあげればいい。
Aさんのいる教室に持って行ってあげればいい。
かかとがつぶれていたら、直してあげればいい。
「ほら、おきっぱなしだったぞ、ちゃんとはけ、靴下汚れるだろう。」
と手渡す。

Aさんには適切だった。何回か繰り返したが
そのうち脱ぎ散らかしはなくなった。
先日、Aさんに
「最近上履き、ちゃんとはくようになったね。」
というと
「うん、でもかかとがまだなんだ・・・」
といっていた。かかとを私が直していたことにもちゃんと気づいていた。

罰や恥では子どもは変わらない。
隣人にするように、当たり前のことをすればいい。


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