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同じ勉強をしてる! [教室]

今日4年生の長男が
「5年生と同じ勉強してる!」
と驚いた顔で話していました。
ちょうど職員室でも「どの学年も『箱』が引っ張りだこだね!」
という話が出ていました。
実は、2,3年、4,5年で新学習指導要領への移行措置の関係から
同じ学習をしているのです。
(下の学年のこどもは得意な気分。上の学年のこどもはちょっとプライドが・・・)
それもちょうど立体。
2,3年生は箱の形、4,5年生は直方体と立方体です。
「下~へ~、下へ!」
と学習内容が大名行列のようにどんどん下の学年におろされるようになります。
今年度、特に2学期の算数は正直厳しい状況。来年度はさらに増えるので
『ゆとり』はどこへやらです。

これで本当に学力が上がるだろうか?

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最高の読み聞かせ [教室]

※「煙草と眼鏡②」は明日・・・

今日はつい最近SMILEを受講されたSさんが娘さんと一緒に作った
ご自分の旅の紙芝居を
朝の読み聞かせの時間に、私のクラスでお話ししてくれました。
ずっと以前から朝の読み聞かせに毎週欠かさずきていただき
時には、抱腹絶倒の劇まで披露してくださった多彩な方です。
Sさんの娘さんのRさんも私のクラス。
SMILEでさらにパワーアップした親子で描いた旅の紙芝居は
手作りの暖かさと実体験からくる説得力で、子どもたちだけでなく、
一緒に聞かせていただいた、私や校長の心にもぐっと迫るものでしでした。
旅の舞台は、インドとモンゴル
特に心に残ったのが
動物と人間がともにある暮らしのお話・・・
こう言ってしまうといかにも陳腐なのですが、そこはやはり実体験の話。
五感に訴える話にはつい引き込まれ、行ったこともないくせに
『動物と人間が共にある暮らし』をまさに体験した気分になることができました。
若い頃
あこがれはしたものの行くことのなかったインドとモンゴル
いつか彼の地へ赴き、本物の空気を吸ってみたいと、かなり本気で思えた
最高の読み聞かせの時間でした・・・。
Sさんありがとうございました!
Rさんもがんばりましたね!

次の次の、アドラー心理学学習会で披露していただくのはどうだろうか・・・



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学年最後の授業参観 [教室]

学年最後の授業参観が終わりました。
つい最近学校に一台導入された電子黒板
使ってみました~

セットアップもまだされていない電子黒板と格闘して
何とか使える状態に・・・
よく探せば、教員のネットワークで、いろいろと授業用のソフトも開発されているとは聞きますが、
探すより作った方が早いと思い、パワーポイントで「箱の形」のプレゼンを作りました。

やはり、(特に形の学習では)視覚に訴えることの有効性と
映った画面にどんどん書き込める良さを感じました。


また、課題としては
じっくりと考えたり、立ち止まる時間を意識的にもうけないと、
授業がどんどん流れて言ってしまう、わかったつもりにさせてしまう危険性があると思いました。
また、やはり大きさは思った以上に小さく、メインとして使う訳にはいかないですし、
もっとも避けたいのが、電子黒板だけで授業を進め、電子黒板に向かって授業をしてしまうことでしょうか?

これから、電子黒板用のソフトを調べて、有効に活用していきたいと思っています。

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シェルパ斉藤氏講演と、環境教育事例発表 [教室]

今日は脱温暖化セミナーでシェルパ斉藤氏の講演会がありました。
二本の足で歩いての世界中を巡る旅は「早い、便利、簡単」の逆の生き方そのものでした。
斉藤氏も自分の家は自分で建てたそうで、自宅併設のカフェに遊びに行きたくなりました。

講演終盤でのサミットへの提言、これが必聴でした。
奥様と二人と犬2匹で散歩されている写真を見ながら

「喧嘩していても横並びで歩いているうちに、自然と仲直りしてしまう。きっと、同じ方向を見て歩いているからでしょう。向かい合ってると、どうしても対決し姿勢なんですね。だから、サミットとかの会議もみんな横一線で歩きながら話し合えば、ポジティブなアイディアを引き出せるんじゃないでしょうか。」

と、お話しされました。そういえば、私がいつも感心させられる私より若い教員(息子の担任)も、子どもとよく横並びで歩きながら話をしています。時には腕を子どもの肩に回して・・・。野球のスポ少でコーチもしているのでそのせいもあるでしょうが、そうやって話すだけで「共通の課題に向かう仲間」っていう感じがしませんか?
「さっきさぁ、あいつに『しねっ』って言ってただろう?あれって、おまえらしくないけど、どうした?」
「うん・・・ついかっとなって・・・」
こんな感じの二人の会話が聞こえてきそうです。
サミットでのお散歩会議の実現は(するといいですが)難しそうですが。
教室ではいただきです。校庭の階段に腰掛けて、ブランコに揺られながら・・・応用もききますね。

講演に続く事例発表は私も10分だけ担当させてもらったのですが、
わざわざ聞きに来てくれたクラスの子どもたちにいいところを見せようと気負ったせいか、ずいぶん緊張してしまいました。でもこんな嬉しいことはありません。子どもたちに、連れてきてくださった親御さんに感謝です。

夜は懐かしい研究の仲間と飲み会。
忙しくも充実した一日でした。



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読書感想文はどうして書くのか~2 [教室]

昨年、書きかけ、そのまま放置してしまった読書感想文についての記事にご批判をいただいた。
http://yuukiduke.blog.so-net.ne.jp/2009-11-25

改めて、読書感想文はなぜ書くのか考えてみたい。そして読書感想文コンクールについても
その意義をもう一度考えてみたい。

(私が批判したのは読書感想文やコンクールそのものではなく、イヤイヤ書かされたり参加さ
せられたりし、逆に本嫌いになる子どもが残念ながら少なくないということに対してである。)
http://www.onda-honpo.com/dokkan-sanpi/

では何のために読書感想文コンクールはあるのか? そもそも、読書感想文はどうしてかくのか?


読書感想文の意義

気づきや感動を言語化し書きとめておくことによってそれをいつでも引き出せるようになる。

以前ブログで、スポーツを練習するとき、なぜ言語化するのか云々、
言語化していろいろ説明する必要はないのではないか云々と書いたことがあるが、
その答えと、共通すると考えている。
つまり、言語化することによって、感想文の場合は言語化できない部分まで含めた物語り全体からの感動、
スポーツの場合は言語化できない多くの体全体の動きや感覚、にラベリングができるのではないか
と考えたのである。たとえばそれをクリックすればすべてが再現されるアイコンのような感じだろうか。
読んだ本が自分のものになる、ということである。

子どもたちにはどう伝えよう?
「いくら良い本に出会って感動しても、時間がたてば薄れていってしまいます。でも、感想文にして書いておく
ことによって、いつでもその時の気持ちを思い出し、味わうことができるようになります。一度読んだ本を、何度でも何度でも味わうことができるのです。」
このように伝えたらどうだろう?
本を読んで一度でも感動したことのある子どもなら、腑に落ちてくれるのではないだろうか。
この場合「読書感想文」でなくてもよい。読後の感想を簡単に書くだけでもよいと思う。

ただし、その前提として
本を読み味わい、感動する力が必要である。それをどう育てるかについてはまた改めて考えたい。

感動を誰かに伝えたいと思い伝える。その内発的で自然な行為として。

「ねえ、何々見た?」
「ねえ、何々聞いた?」
「ねえ、何々した?」
「ねえ、何々読んだ?」
「おもしろかったよね~」
「感動したよね~」
「泣けるよね~」

人は放っておいても、必ずコミュニケーションする。
(放っておかないとコミュニケーションしなくなることはある。)
だから本を読み心が動かされれば、必ず誰かに話したくなる。伝えたくなる。
私はこのことをとても大切なことだと思っている。
それだからこそ「読まされる・書かされる」感想文に過剰に批判的になるのかもしれない。
私の記事に批判を寄せてくれたNO NAMEさんのお子さんは、課題図書を何度も繰り返し
読んだそうである。本を読み心が動いた子どもなら、書かされなくても自分から書くだろう。
感想文を「問題」としてとらえるのではなく「チャンス」として考えられるだろう。
そうなれば、自分の思いをどう表現したら相手にうまく伝わるのか考えるだろうし、知りたくなるだろう。

ただ、読書感想文の問題点も同時にここにあるように思う。
つまり、感想文を書く子どもが伝えたい相手は誰なのか?ということである。
「お母さん聞いて」なのか「先生聞いて」なのか「みんな聞いて」なのか。
そこが明確でなければ「伝えたい(=書きたい)」欲求は内発的には生まれない。
伝えたい相手と伝わる相手のズレがはじめから見えていると、書く意欲は生まれない。
良心的なコンクールならば、全員とはいかないまでも、入賞者には選者のコメントがほしい。
受け手のいないボールを投げるのはむなしい。

それはさておき、
ここでも出発点は本を読み、感動する力である。

そしてそれに加えて、感動を言語化し、書く力である。

ここにコンクールの意義がある
どうしたら自分の気持ちにぴったりする表現ができるのか
どうしたら、自分の感動を相手(明確にしたい・・・)に伝えることができるのか
同じ本を読んだ友達はどんな感想を持っているのか
それがコンクールに「参加することでわかる。」


実は参加してもわからない場合が多い。(残念)
子どもたちがほかの友達の作品を読む機会はほとんどない。
同じ本を読んだ子どもが、「あんな風に感じたのか、あんな風に書けば気持ちがうまく伝わるのか。」
と、わかり、感想を交流できる場にコンクールがなっていなければ
残念ながら入選者(選者のバイアスというふるいに残った)中での小さな交流にとどまる。


今回この記事を書きながら、他の方々は、読書感想文についてどう考えているのだろうと思い
上述の読書感想文への賛否(「読書感想文は児童・生徒の読解力と文章作成力向上に役に立つのか?」)やWikipediaをひいてみた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%AD%E6%9B%B8%E6%84%9F%E6%83%B3%E6%96%87
読書感想文は学習指導要領に明確に位置づけられてはいない。このことはWikipediaにも書かれており
感想と意見、事実を明確に分けて論述する能力が小学校5・6年生で求められているが、これは読書感想文と
はねらいが違っている。またWikipediaでは述べられていないが、学習指導要領に、「本を読んで推薦の文章を書くこと」が5・6年生の言語活動として例示されている。この言語活動の根拠は、「登場人物の相互関係や心情、場面についての描写をとらえ、優れた叙述について自分の考えをまとめること。」であり、ここを根拠に、「読書感想文」という言語活動もある程度可能だろう。しかしねらいは自分の考えをまとめそれを例えば推薦文にまとめて、誰か(友人や家族)と交流することである。
1年生から4年生では、「本に親しむ」ことを目的とした活動(例えば本の帯を作る)は教科書にあるが「感想文」としてはない。感想を書いたり話し合うことはあっても、「読書感想文」というジャンルは小学校1~4年では見あたらない。
学習指導要領で小学校全学年を通して一貫して主張されているのは、「本を誰かに紹介する」という「相手意識」である。
課題図書選定の問題等がないわけではないようだ。
読書感想文コンクールをきっかけとして本好きになる子どもも確かにいるのだが、コンクールのあり方やコンクールへの参加のさせ方などの工夫をしなければ、本嫌いを作ってしまうのも一方では事実のようだ。

私はむしろ、小学校低・中学年のうちは(一人一人の発達段階にもよるが)読書日記を読みあったり、本の短い感想を模造紙にどんどん書けるようにしたり、付箋に書いて貼る場所を作ったり、本を読んだ子どもの本音の交流を活発に行い、本好きを増やしたいと思っている。そういった中から、自然と読書感想文が書けるようになり、コンクールにも参加したいという子が出てくればいいと思う。読書感想文コンクールは、子どもたちに紹介はするが、一律に宿題として課すことについては考えなければならないと思っている。

NO NAMEさんのご批判をきっかけに、本を読むこと、その感想を交流すること意義についてより深く考えることができました。改めて感謝申し上げます。








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梟の鳴く夜 [教室]

今日は久しぶりに梟の声を聞きました。
かなり太いしっかりした声で、ゴロスケホッホ~♪とやっていて
生き物が動き始めている(春が近づいている)ことを実感しました。

さて、昨日のクラス会議の結果
見事給食の支度から、昼休みまで、時間通りに進めることができました。

さすがみんな!目標達成した記念に、これ、貼るからね~と
「ウンチおじさん」を黒板に貼ると、評価が真っ二つ。
「やったー!」と「えー!?」
「ほかの描いてきてもいいですか?」と聞きに来る子どももいました。

「もちろん!」

20分、しっかり取れた昼休みには
グランドで遊ぶもの、教室でダンスに興じるもの
協力して勝ち得た時間を楽しんでいました。

「目標の一致」が課題解決に不可欠であることを改めて感じました。
明日はどうかな?

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クラス会議 [教室]

今日のクラス会議の議題は「昼休みを1時30分から20分間きちんと取るにはどうしたらよいか」でした。いつもは子どもが議題箱に提出するのですが今日は私が議題を出しました。
これがなかなかうまくいかない。
給食のしたく、かたづけ、歯磨き、掃除、連絡帳書き、そして昼休みという流れで
この間1時間、それほど無理はないと思うのですが、
「急がないと、昼休みがまた短くなっちゃうよ!」と追い立てる指導がここの所続き、「みんなで協力して早くして、昼休みをきちんととろう!」と1学期にすでに話し合ったことが、なんとなくルーズになってしまい、下手をすれば昼休み10分、なんてことも・・・。
そこで今日は担任から上のような議題を出させてもらったというわけです。

まず確認したことは、
「みんなは本当に、20分間の昼休みをしっかり取りたいと思っているか?」
です。
本当はゆっくり支度をし、ゆっくり食べ、時間をかけて歯を磨き、のんびりしたいのかもしれません。
でも、学校ではそうすることは残念ながらかないません。
子どもたちは「僕たちは本当に昼休みを20分きちんととりたい」といい
「でも、のんびりしたくもしたいんじゃない?」と聞くと
「休み時間のほうがいい。」と口々に答えました。
担任と、子どもたちの目標を一致させることが大事です。
明日は同じ方向を向いて給食の時間を迎えられそうです。

さて、

話し合った解決策は
「必要以外のことはしゃべらない。」
「時間を決めて、その時間までにいろいろなことをする。」
でした。

私とすれば、配膳の方法や片付けの仕方などにも改善の余地があり、そのあたりにも気づいてほしかったのですが、とにかく今日決まった方法で、明日から一週間は挑戦です。

明日、うまくいったら隠しアイテム「うんちおじさん」のマグネットの登場です。
(子どもたちは、男の子がふざけて描いた「ウンチおじさん」がマグネットになっていることを知りません・・・)
がんばれ!みんな!(日本もね・・・関係ないけど)




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物語を書く [教室]

今,国語の授業では物語を書いていますが,子どもたちの発想の豊かさにはとても驚かされます。
多いモチーフが光や穴に吸い込まれ別世界に行ってしまうもの・・・。
スピルバーグのポルターガイストに通じるなぁ・・・・。

さて,普段作文を苦手としている子どもでも,グングン書けるのがこの単元。(原稿用紙も優れものですしね)
今日は,途中まで書かれた物語をお互いに読み,アドバイスをし合う授業を行いました。
「では三分間相手の物語を読んでアドバイスを考えて下さい。」
「次に一分間,友だちにアドバイスをしてあげて下さい。」
「アドバイスしてもらう人はスーパー作文用紙の余白にメモしながら聞きましょう。」
このようにして,相手を一回ずつ換え,物語を読み合う授業を行いました。
こういうときに,構成的グループエンカウンターを経験している教師と子どもたちだと
流れがスムーズだなぁと感じます。
今日はアドバイスの視点を板書で示したのですが,授業後にポジティブなアドバイスの視点が足りないことを
職場の同僚に指摘してもらいました。
改訂版のアドバイスカードを早速作り,次回の読み合う時には子どもたちが勇気づけ合えるような
授業にしたいと思っています。


気持ちがよく伝わってくるところ

様子がよくわかるところ

おもしろいと思ったところ

なるほどと思ったところ

会話が書かれているか

もっとよくするためにつけくわえたらいいと思うアイディア

文や文字などのまちがい

もっとくわしく知りたいところ

感想

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グングン書ける!?原稿用紙 [教室]

今日の校内研究・・・
(学校では学校ごとに研究テーマを決めて,授業をみんなで見合ったり,研究討議をしたりして
 授業力向上を目指しています・・・)
作文を書くときに書きやすい作文用紙ということが話題になり,
従来の原稿用紙はマスで区切られるので思考が途切れるとの指摘が・・・。
また,書いた文を直すときに,消したり,書き直したりは大変な労力(ウンウン)


そこで,マスのない縦罫の,しかも直しを書き込む罫の幅広のもの
そんな原稿用紙を考えました。
(メールいただければエクセルファイルでプレゼント♪)
kaburanoie☆qk9.so-net.ne.jp(☆を@にかえてください)
用紙下には幅広の余白があり,ドンドン書き込めるように。
これで何度も書き直したりせず,書き進めていくことができます。

ちょうど国語では空想の物語を書く単元。
マスの原稿用紙に書き始めてしまった子も何人かいますが,
明日から早速使ってみようと思っています。

空想の物語・・・アドラー的には早期回想解釈の応用で
何か見えてくるものもあるかもしれないという別の関心もあります。


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教師のメタ認知 [教室]

ikedaさんはコメントに
「いつも違う答えの求め方があるはずだ」
と考えていたと書いてくれました。
これ、私の今年のテーマ「メタ認知」ですね。

この自分の思考パターンを知ること、これは学習者にとっても
大切なことですが、何よりも教える側が、どのような思考パターン
認知パターンをもっているのか?情報を受け取るのにもっとも得意な器官は
「視覚」か「聴覚」か「触覚運動」か?をとらえていること=教師のメタ認知は
大変重要だと思います。

例えば視覚優位の教師は
図や表などを多く使って説明しようとするでしょうし
聴覚優位の教師は
言葉で説明することに重きを置くでしょう。
また、触覚運動型の教師は・・・・
そう・・・体験を重視するでしょう。

A「ハイ、よく見て!」
B「ハイ、よく聞いて!」
C「ホラ、やってごらん・・・やって見なきゃわからないでしょう。」

A「先生のやっていることをよく見て覚えなさい。」
B「人の話をしっかり聞いていないから、わからなくなるんでしょっ」
C「そうそう、失敗は成功のもと、まずは挑戦してみないとね。」

ついつい、自分の得意なパターンで偏って指導していることはないでしょうか。
私は、じつはC触覚運動型なので、とりあえずやらせてみる、というパターンが多いように思います。
経験重視ですね。
ただ、気をつけなければいけないのは、あだ花的に経験させて、それで終わってしまわないようにしないと
「視覚優位」「聴覚優位」の子どもは不満足でしょうし学習としても不十分です。
視覚的に、聴覚的に落とし込む、言葉でまとめたり図形的、量的にとらえさせたりする
経験の前に予想させる、など、実は当たり前のことですがそれらが軽くならないように
意識する必要があるでしょう。
逆に「聴覚優位」の教師は説明がやたら多く、経験する時間が短かったりするのかもしれません。

教え方、にもアドラー心理学で言う「ライフスタイル」が非常に影響していると思います。
やはり、ヒューマン・ギルドへ行き、教育分析を受けるなど、
「自分を知る」努力と勇気が必要だと思っています。

学校評価の季節・・・保護者の皆さんの、子どもたちの、評価も教師が「自分を知る」ための大事な
ツールなのですが、やはりドキドキです(^_^;)

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