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囲碁教室の先生 [教室]

子どもたちが通っている囲碁教室の先生は勇気づけ名人である。
だから子どもも大人もいつもたくさんきていて、賑やかだ。

詰め碁の宿題がかえってくると、表に4月2日16分の7、4月4日16分の10、4月6日16分の12、
といった具合に、正答率が書かれる。
たったこれだけで、宿題への意欲がわく。
はじめの16分の7は決してほめられた正答率ではない。44点だ。
でも、できている7問に注目し、これとこれは良くできたな、といって返す。

半分水が入ったコップのたとえ話ではないけれど
「44点しか」と考えるよりも、「44点も」と考えた方がいい、などという人がいるが
ダメでしょう、これは。
やっぱり本人は「44点しか」とどこかで思っているだろう。
そんなときに「44点も」といわれたら、バカにされたように感じるだろう。

できていることに注目して勇気づけるというのは
「44点も」といって苦しいリフレイミングをすることではないと思う。
「44点だったんだ。何ができたの?」とできていることに注目することだろう。
囲碁教室の先生のように
「これとこれは良くできた。」と単にできている事実を示すだけでもこれは
勇気づけである。




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コメント 4

いいことあるぞ

どうしてもテストなんかでは、出来なかった所に注目しがちですよね。出来た所をおおいに認めつつ、分からなかった所を直させるのって、けっこう難しいです・・((+_+))
by いいことあるぞ (2010-04-17 11:06) 

橋本@埼玉

>できていることに注目して勇気づけるというのは
「44点も」といって苦しいリフレイミングをすることではないと思う。
「44点だったんだ。何ができたの?」とできていることに注目することだろう。

勉強になります。多分何気なく行っているんだろうけど,もっと自覚していきます。
by 橋本@埼玉 (2010-04-17 12:21) 

蕪

いいことあるぞさん
そうそう、難しいですよね。本人が直したいなっていう気持ちにならないとね。直して百点にしたいなとか、わかるようになりたいとか。そのためにも、先ず、何ができているのか、できているところに注目するとちょっと自身と意欲がわいてきますよね。
「ここはできているね、どうやってやったの?」と聞き、「こうするんだ。」と答えてくれればしめたものでしょう。「それじゃあ、これ(間違えた問題)も、こうすればできるっていうわけ?」というかんじでしょうか?

by 蕪 (2010-04-17 18:11) 

蕪

橋本@埼玉さん
そうです、そうです、きっと何気なくやっているんですよね。きっと意識化されることで、勇気づけのフィードバックが強化されるのではないでしょうか?僕の場合は勇気くじきに気付くこともしばしば・・・。教師のメタ認知ですね。
by 蕪 (2010-04-17 18:15) 

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