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アドラー心理学は甘い?②~そば屋での再会(20年ぶり) [アドラー心理学]

昭和48年に初版が出された「青年心理学」(西平直喜著)の「補償作用」の項をを引用する。
(西平先生の「青年心理」の授業の教科書として使われた。なぜか手元の本には同期のK君の蔵書サインが(^_^;)



青年心理学 (1973年) (現代心理学叢書〈7 塚田毅編〉)

青年心理学 (1973年) (現代心理学叢書〈7 塚田毅編〉)

  • 作者: 西平 直喜
  • 出版社/メーカー: 共立出版
  • 発売日: 1973
  • メディア: -





 「アドラーは,生理的な器官の劣弱な場合,これを補うように他の器官が働く現象を,心理学的にも見いだせるとして,補償作用と呼んでいる。一般に,丈の低い子どもは,性格的に強く激しいものを持ちやすいし,ユダヤ人は多くの差別による劣等感を,頭脳と実業という実力によって克服しようとしたと言われ,偉人の多くは,劣等感の補償からエネルギーをくみとっている。(ナポレオン・野口英世ら)
 
 このあたり,さすが伝記分析を中心に研究され,たくさんの偉人の生育史からそのパーソナリティー形成の仕組みを探っていらした西平先生ならではという感じがする。西平先生にうかがえば,過去の偉人それぞれがどのようなライフスタイルを,どのようにして形成してきたかがたちどころにわかるのではないか。
そしてこの後,感動抜きには読むことのできない,力強く,毅然とし,勇気づけに満ちた「アドラー心理学」の本質が語られる部分が続く。

 「この事実は,先に述べた”左利き”・”どもり”の49人の青年が一般群469人に比べて,劣等感も高いと同時に,優越感の得点もごくわずかであるが,高いことによっても首肯される。(49人の平均46.0>一般群の平均44.8)つまり,劣等感は,一方で疾病利得として自我を守るための防衛機制に,一方は,それを補償克服するエネルギーの源泉として形成機構(coping mechanism)として作用する。とすれば,青年に向けられる”劣等感の治療”の原則は,なくしてしまうことではなく,そのエネルギーをどう使用するかにかかっているのであろう。第12章で述べる青年分析の問いでは,”君は自分の劣等感をどう生活に役立てているか?”という形になり,更に,”あなたは劣等感を持つ資格があるのか?”(その程度の劣等感に負けない人だって大勢ある)という形となる。」
 
どうだろう?昭和48年つまり1973年に出された本である。私は,日本における勇気づけの源流の一つがここにあると感じた。劣等も優越もすべてひっくるめて,「自分」を「自分」が使用していく。自己肯定感とはこういうものではないだろうか。優越を喜んだり劣等を悲しんだりするのではなく,優越も劣等も世界に有益な方向で使用していく責任を負っているのである。単なる「いいとこさがし」ではない(いいとこ探しそのものを否定するのではない)。単なる言い換えの「リフレイミング」ではない。(リフレイミングそのものを否定するわけではない)自分の優越についても劣等についてもそのまま責任を持つのである。
 
 先生は1970年に金子書房から自ら著した「劣等感の調査法」によって,左利きや,どもりについて調査研究をしている。学生たちとよく武田神社のお堀でスケートをされたそうだが(私が学生の頃はすでに武田神社のお堀は凍らなくなっていたし,西平先生もスケートをされるほどお若くはなかった。),学生たち(青年)とともにいながら彼らの劣等感,自己嫌悪感を目の当たりにしていたのだろう。その青年たちに力強く毅然と問いかける

 「君には劣等感を持つ資格があるか!?」

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