心のままに [アドラー心理学]
ちょっと古い映画なのですが
「心のままに」をレンタルDVDで観ました。
主人公のMr.Jones(Richard Gere)は双極性障がい(躁鬱病)なのですが
ツーバイフォーの建築現場で屋根梁に上がり両手を広げ旅客機と一緒に飛ぼうとする姿は,やっぱり梁にあがり,かけやでぶったたいてその音を森中に響かせて悦に入っていた自分と重なりました。
ピアノ売り場のシーン・・・そこでは岩井氏が「心の雨の日の過ごし方」で書いている
「陽中の陰」を見事に表しているように感じました。
昔に比べ,寂しさやわびしさ,孤独を味わう機会が減っていると言います。
そういえば,「豆腐屋のラッパが鳴って,日が沈んでいく夕暮れの寂しさにきゅーん」
なんていう,「あたりまえのさびしさ」もあまり見あたらなくなってしまいました。
寂しさを味わうことができないから,『陰』に向き合えなくなってきたとも聞きました。
経絡指圧では腹のことを,「陰中の陰」もっとも大切な部分で,そこで
虚実を観るのだと言います。
寂しい時間に一人背中を丸めて「陰中の陰」からのつぶやきに耳を傾けるのも
いいのかもしれません。
「心のままに」はヒューマン・ギルドの講座でも紹介されたものです。
「心のままに」をレンタルDVDで観ました。
主人公のMr.Jones(Richard Gere)は双極性障がい(躁鬱病)なのですが
ツーバイフォーの建築現場で屋根梁に上がり両手を広げ旅客機と一緒に飛ぼうとする姿は,やっぱり梁にあがり,かけやでぶったたいてその音を森中に響かせて悦に入っていた自分と重なりました。
ピアノ売り場のシーン・・・そこでは岩井氏が「心の雨の日の過ごし方」で書いている
- ショップ: 楽天ブックス
- 価格: 1,365 円
「陽中の陰」を見事に表しているように感じました。
昔に比べ,寂しさやわびしさ,孤独を味わう機会が減っていると言います。
そういえば,「豆腐屋のラッパが鳴って,日が沈んでいく夕暮れの寂しさにきゅーん」
なんていう,「あたりまえのさびしさ」もあまり見あたらなくなってしまいました。
寂しさを味わうことができないから,『陰』に向き合えなくなってきたとも聞きました。
経絡指圧では腹のことを,「陰中の陰」もっとも大切な部分で,そこで
虚実を観るのだと言います。
寂しい時間に一人背中を丸めて「陰中の陰」からのつぶやきに耳を傾けるのも
いいのかもしれません。
「心のままに」はヒューマン・ギルドの講座でも紹介されたものです。
スマイルネット山梨第11回アドラー心理学学習会 [アドラー心理学]
6月18日(金)
19:30~
山梨県甲府市
小瀬スポーツ公園武道場会議室で
スマイルネット山梨第11回アドラー心理学学習会
が開かれます。
ファシリテーターはなんと私,蕪がつとめさせていただきます。
テーマはアド仙人さんのリクエストで,催眠・・・zzz・・・
皆さんで心理学のルーツ催眠の世界を旅してみましょう。
今回は,催眠の怪しい雰囲気を魅力の部分だけ残して払拭したいなどとも思っています。
また,MIND FLEX ももって参りますので,集中力についてもお話ししましょう。
さらに!
親子関係プログラム”SMILE”の効果測定についても進捗状況について
報告させていただきたいと思っています。
今までに参加されたことのない方で,参加希望の方は
kaburanoie☆qk9.so-net.ne.jp(☆を@に替えてください)
までメールにてご連絡ください。
19:30~
山梨県甲府市
小瀬スポーツ公園武道場会議室で
スマイルネット山梨第11回アドラー心理学学習会
が開かれます。
ファシリテーターはなんと私,蕪がつとめさせていただきます。
テーマはアド仙人さんのリクエストで,催眠・・・zzz・・・
皆さんで心理学のルーツ催眠の世界を旅してみましょう。
今回は,催眠の怪しい雰囲気を魅力の部分だけ残して払拭したいなどとも思っています。
また,MIND FLEX ももって参りますので,集中力についてもお話ししましょう。
さらに!
親子関係プログラム”SMILE”の効果測定についても進捗状況について
報告させていただきたいと思っています。
今までに参加されたことのない方で,参加希望の方は
kaburanoie☆qk9.so-net.ne.jp(☆を@に替えてください)
までメールにてご連絡ください。
国語の教科書(光村)は面白い① [教室]
久しぶりに教室ネタ・・・
というのも,ここのところ以前担任していた子どもたちから次々に手紙が届き
もうすでに懐かしい存在になっている教室が一気によみがえってきたからでした。
どうしてこう次々と手紙が届くのかというと・・・
手紙の書き方を勉強する時期だからなのです。
授業で「誰かに手紙を書いてみましょう。」
ということになったのでしょう。
そんなときに,私を思い出してくれたなんて,なんと幸せなことでしょう。
例えば5年生などは見学のお願いが題材なのですが
結構大人でも勉強になります。
国語の教科書,なかなか面白いです。
さて,今日から時々国語の教科書シリーズで書いてみたいと思います。
今日は「サクラソウとトラマルハナバチ」(光村 5年上)
サクラソウと言っても,栽培種のそれではなく,野生のサクラソウ。
葉が厚く,しっかりとした茎に淡いピンク色の花を段々に咲かせます。
このサクラソウも絶滅が危惧されているようです。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/sakurasou.html
このサクラソウのが実を結び子孫を残すためには,トラマルハナバチという蜂が必要です。
同じ仲間に花粉を運んでもらうために,長い舌をもつ虫だけが蜜を吸えるような花の形をしている
からなのです。つまり,トラマルハナバチの口の形はサクラソウにぴったり合っていると言うことです。
子どもたちには『つながり合って生きている』ものを他にも探させてみたいものだと思います。
探していくうちに
「なんだ,みんなつながり合ってるじゃん。」という原理に気づくのではないでしょうか。
そこで投げかけたい質問・・・
「じゃあ,人間は?」
生物のフードチェーンのつながりから一人はぐれてしまった孤独な人間に気づくかもしれません。
人間だってやっぱり他の生き物とつながり合って生きていると,感じる子どももいるかもしれません。
人間同士がつながり合わなきゃと思う子どももいるかもしれません。
いろいろな気づきがこの教材から広がりそうです。
私は個人的に,共同体感覚を思い浮かべます。
一人では生きてはいけない。
というのも,ここのところ以前担任していた子どもたちから次々に手紙が届き
もうすでに懐かしい存在になっている教室が一気によみがえってきたからでした。
どうしてこう次々と手紙が届くのかというと・・・
手紙の書き方を勉強する時期だからなのです。
授業で「誰かに手紙を書いてみましょう。」
ということになったのでしょう。
そんなときに,私を思い出してくれたなんて,なんと幸せなことでしょう。
例えば5年生などは見学のお願いが題材なのですが
結構大人でも勉強になります。
国語の教科書,なかなか面白いです。
さて,今日から時々国語の教科書シリーズで書いてみたいと思います。
今日は「サクラソウとトラマルハナバチ」(光村 5年上)
サクラソウと言っても,栽培種のそれではなく,野生のサクラソウ。
葉が厚く,しっかりとした茎に淡いピンク色の花を段々に咲かせます。
このサクラソウも絶滅が危惧されているようです。
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/sakurasou.html
このサクラソウのが実を結び子孫を残すためには,トラマルハナバチという蜂が必要です。
同じ仲間に花粉を運んでもらうために,長い舌をもつ虫だけが蜜を吸えるような花の形をしている
からなのです。つまり,トラマルハナバチの口の形はサクラソウにぴったり合っていると言うことです。
サクラソウがタネを実らせるためには,トラマルハナバチがいなければなりません。トラマルハナバチ が生きていくためには,サクラソウはもちろん,その他の花々,またネズミがいなければなりません。 このように,生き物はみなつながり合っているのです。つまり,サクラソウを絶滅から守るためには, サクラソウだけを保護するのでは不十分です。お互いにつながり合って生きている生き物たちの全体 を守っていかなければならないのです。
子どもたちには『つながり合って生きている』ものを他にも探させてみたいものだと思います。
探していくうちに
「なんだ,みんなつながり合ってるじゃん。」という原理に気づくのではないでしょうか。
そこで投げかけたい質問・・・
「じゃあ,人間は?」
生物のフードチェーンのつながりから一人はぐれてしまった孤独な人間に気づくかもしれません。
人間だってやっぱり他の生き物とつながり合って生きていると,感じる子どももいるかもしれません。
人間同士がつながり合わなきゃと思う子どももいるかもしれません。
いろいろな気づきがこの教材から広がりそうです。
私は個人的に,共同体感覚を思い浮かべます。
一人では生きてはいけない。
美術館での学び:認知と視覚障碍 Rebecca McGinnis ③ 視覚 触覚 聴覚 [心理学]
視覚・・・百聞は一見にしかず
触覚・・・やってみなけりゃわからない
聴覚・・・目をつぶって・・・耳を澄まして聞いてごらん
McGinnis氏は講演で視覚と触覚を対比して説明してくれました。
大きな違いが視覚が瞬間的で受動的であることに比べ
触覚は継時的で積極的だそうです。
なるほどそうで,特に触覚では大変な集中力も要求されますね。
例えばスポットライトであるものを部分的に照らしていき
順に全体を照らし終わった時点で,全体像を想像するようなものだと私は思いましたし
キュビズムの手法をMcGinnis氏は例に出していました。
瞬間瞬間の印象や感覚をつなぎ合わせて全体像を構築する。
そうするとキュビズムの作品に違和感を覚える人はもしかしたら視覚優位な人で
親和的に感じる人は,触覚,もしくは聴覚優位なのかもしれません。
子どもの絵もある意味,表すものが視覚に限定できないから
面白いのかもしれませんね。
触覚・・・やってみなけりゃわからない
聴覚・・・目をつぶって・・・耳を澄まして聞いてごらん
McGinnis氏は講演で視覚と触覚を対比して説明してくれました。
大きな違いが視覚が瞬間的で受動的であることに比べ
触覚は継時的で積極的だそうです。
なるほどそうで,特に触覚では大変な集中力も要求されますね。
例えばスポットライトであるものを部分的に照らしていき
順に全体を照らし終わった時点で,全体像を想像するようなものだと私は思いましたし
キュビズムの手法をMcGinnis氏は例に出していました。
瞬間瞬間の印象や感覚をつなぎ合わせて全体像を構築する。
そうするとキュビズムの作品に違和感を覚える人はもしかしたら視覚優位な人で
親和的に感じる人は,触覚,もしくは聴覚優位なのかもしれません。
子どもの絵もある意味,表すものが視覚に限定できないから
面白いのかもしれませんね。
美術館での学び:認知と視覚障碍 Rebecca McGinnis ②”色”について [心理学]
昨日の続きです。
予告通り,色について・・・
マックギニス氏の講演では特に触れられていなかったのですが
「色」は,視覚に障碍を持つ方の美術鑑賞では,どのように扱われているのかに
ついて質問が出されました。
以下回答です。
色から暖かさや寒さ,森のにおいや,空気感などを感覚として再現し,それが心像
として,特有の像を結んでいるのかもしれません。
こうなるともう,別の文化がそこにあって,所謂『異文化コミュニケーション』であるなあと思うのです。
両方の文化の対等感が,マックギニス氏の講演から伝わってきたことをとても嬉しく思いました。
予告通り,色について・・・
マックギニス氏の講演では特に触れられていなかったのですが
「色」は,視覚に障碍を持つ方の美術鑑賞では,どのように扱われているのかに
ついて質問が出されました。
以下回答です。
「私は今まで,『色』について知りたいといった視覚に障碍をもつ方にはたくさん出会ってきましたが 『色』について知りたくないといった方には一度も出会ったことがありません。『色』については 知識として彼らは認識しています。例えば空は青,草木は緑というように。また,暖色と寒色についても触れ,暖かさや寒さを伝える色があることを認識します。」
色から暖かさや寒さ,森のにおいや,空気感などを感覚として再現し,それが心像
として,特有の像を結んでいるのかもしれません。
こうなるともう,別の文化がそこにあって,所謂『異文化コミュニケーション』であるなあと思うのです。
両方の文化の対等感が,マックギニス氏の講演から伝わってきたことをとても嬉しく思いました。
美術館での学び:認知と視覚障害 Rebecca McGinnis [アドラー心理学]
21日、慶応大学で、認知心理学と視覚障碍との関連を研究され
視覚障碍をもつ方の美術館へのアクセスについての研究で注目されている
マックギニス氏(メトロポリタン美術館・教育普及部統括エデュケータ)の講演会がありました。
講演会では主に視覚障碍をもつ方が、どのように世界を認知しているかということについて、
また、触覚と視覚の違い、さらには視覚以外で知覚することの可能性について
1時間という短い時間ながら(通訳付ですから余計)アウトラインを的確にわかり易くお話してくれました。
(さすが認知心理学者)
かねてからアドラー心理学を学び認知の方法としての、視覚、聴覚、感覚運動といった感覚タイプに
関心を持ち、それらが子どもたちの学びにどのような影響があるのかについて考えてきましたが
視覚障碍と芸術鑑賞という組み合わせを通して改めてそれぞれの感覚の特性(ユニークさ)について
気づかされ、考えさせられました。
特に面白いと思ったのは
メトロポリタン美術館のプログラムのひとつで、認知症の患者さんとその家族(普段ケアされている方)
が参加するものがあり、一緒に同じものを触るという芸術鑑賞を通して、二人の関係性がより深まる
というものでした。
このことについては、英語で質問をする人もいるような会場で大変勇気がいたのですが、とても興味があったので思い切って「具体的にどのようなプログラムなのか、また、清眼者と視覚に障碍のある方の間でも同じようなプログラムがあり、関係性の向上が見られるのか。」と質問してみました。
質問に対しては、「①言葉と触覚(触知可能な図)での作品鑑賞②制作活動③タッチコレクションの3つの場を用意しそこで一緒に活動したりディスカッションしたりすることを通して関係性が向上していくのがよくわかる。」と答えていただきました。
清眼者と視覚に障碍を持つ方の間でも勿論行われるようですが、これは通常の学校の、図工の時間、構成的グループエンカウンターのエクササイズとして、また、相談活動の一環として、教育活動のさまざまな場面で取り入れることができると思いました。
帰りは趣のある三田のキャンパスのあちらこちらの手触りを想像しながら歩きました。
「色」についてはまた明日。
視覚障碍をもつ方の美術館へのアクセスについての研究で注目されている
マックギニス氏(メトロポリタン美術館・教育普及部統括エデュケータ)の講演会がありました。
講演会では主に視覚障碍をもつ方が、どのように世界を認知しているかということについて、
また、触覚と視覚の違い、さらには視覚以外で知覚することの可能性について
1時間という短い時間ながら(通訳付ですから余計)アウトラインを的確にわかり易くお話してくれました。
(さすが認知心理学者)
かねてからアドラー心理学を学び認知の方法としての、視覚、聴覚、感覚運動といった感覚タイプに
関心を持ち、それらが子どもたちの学びにどのような影響があるのかについて考えてきましたが
視覚障碍と芸術鑑賞という組み合わせを通して改めてそれぞれの感覚の特性(ユニークさ)について
気づかされ、考えさせられました。
特に面白いと思ったのは
メトロポリタン美術館のプログラムのひとつで、認知症の患者さんとその家族(普段ケアされている方)
が参加するものがあり、一緒に同じものを触るという芸術鑑賞を通して、二人の関係性がより深まる
というものでした。
このことについては、英語で質問をする人もいるような会場で大変勇気がいたのですが、とても興味があったので思い切って「具体的にどのようなプログラムなのか、また、清眼者と視覚に障碍のある方の間でも同じようなプログラムがあり、関係性の向上が見られるのか。」と質問してみました。
質問に対しては、「①言葉と触覚(触知可能な図)での作品鑑賞②制作活動③タッチコレクションの3つの場を用意しそこで一緒に活動したりディスカッションしたりすることを通して関係性が向上していくのがよくわかる。」と答えていただきました。
清眼者と視覚に障碍を持つ方の間でも勿論行われるようですが、これは通常の学校の、図工の時間、構成的グループエンカウンターのエクササイズとして、また、相談活動の一環として、教育活動のさまざまな場面で取り入れることができると思いました。
触覚と言語は、ともに、集中力を助長し、瞬間的で全体的な視覚より、詳細と特異性へのより緻密な観察を要求する。触覚と言語は、清眼者と視覚に障碍をもつ人々の両方の学習に貢献する。(講演会レジュメより)
帰りは趣のある三田のキャンパスのあちらこちらの手触りを想像しながら歩きました。
「色」についてはまた明日。
私の夢 [アドラー心理学]
先日の夢のワークで私の夢をグループの仲間に
ロールプレイで演じてもらいました。
私の夢は,湖のように波のない水の上で
カヌーを漕いでいます。
カヌーは2艘あって,それぞれ二人ずつ乗っています。
ただ,私の漕ぎ方は逆なのです,後ろから前へ漕いでいるのです。
前へ漕いでも後ろには進みません。
カヌーの位置は変わらず,漕いでいるところに流れができます。
もう一艘のカヌーにも一緒に漕ぐように声をかけると
流れがどんどん速くなり,「この流れに乗れば,向こうへ行けるぞ!」
と叫びます。
流れが,特に音が,とてもリアルだったのを覚えています。
流れの行く先には,ぼんやりと島影が見えます。あそこが目的地なのでしょう。
こんな夢を演じてもらって,ちょっと怖いような変な感じがしました。
反対に漕いでいるのが,異様なのです。
(やらせておいて,異様とはずいぶんですが)
そこから読み取ったもの・・・
見たときは,吉兆かとおもいました。
自分で流れを作りだし,それに乗る,目標に向かおうとする良い夢かと・・・
しかし,演じてもらって気づいたのは
「やり方が違っている」
ということでした。もう一度よく考えてみろ,という警告なのかもしれません。
ロールプレイで演じてもらいました。
私の夢は,湖のように波のない水の上で
カヌーを漕いでいます。
カヌーは2艘あって,それぞれ二人ずつ乗っています。
ただ,私の漕ぎ方は逆なのです,後ろから前へ漕いでいるのです。
前へ漕いでも後ろには進みません。
カヌーの位置は変わらず,漕いでいるところに流れができます。
もう一艘のカヌーにも一緒に漕ぐように声をかけると
流れがどんどん速くなり,「この流れに乗れば,向こうへ行けるぞ!」
と叫びます。
流れが,特に音が,とてもリアルだったのを覚えています。
流れの行く先には,ぼんやりと島影が見えます。あそこが目的地なのでしょう。
こんな夢を演じてもらって,ちょっと怖いような変な感じがしました。
反対に漕いでいるのが,異様なのです。
(やらせておいて,異様とはずいぶんですが)
そこから読み取ったもの・・・
見たときは,吉兆かとおもいました。
自分で流れを作りだし,それに乗る,目標に向かおうとする良い夢かと・・・
しかし,演じてもらって気づいたのは
「やり方が違っている」
ということでした。もう一度よく考えてみろ,という警告なのかもしれません。
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