SSブログ

アドラー心理学 朝の自主勉強会 [アドラー心理学]

昨日は自主勉強会、ゼミナール、カウンセリング演習、クラス会議学習会
とアドラー漬けの一日でした。
どれも内容が濃く、まだ頭の中でぐ~るぐるとマドラー心理学状態

頭に整理してしまうためにも、一日一つずつ
ここにまとめていきますね。

さて、今日は朝の自主勉強会について書いてみます。

アドラー心理学自主勉強会 ヒューマン・ギルドを会場にして、毎回5名前後の方が参加しています。 ヒューマン・ギルドでゼミナール、カウンセリング演習がある日の朝9:30~10:45までの 1時間30分、テキスト「現代に生きるアドラー心理学」を参加者で輪読します。
その内容について、実体験と照らし合わせながらメンバーで話し合い理解を深めていきます。 内発的にアドラーを学びたいと動機づけられた参加者の会ですから、とてもアドラー的。 相互尊敬、相互信頼の勇気づけの学習会になっています。 もっと多くの人に、この心地よい朝の時間を味わってもらいたいと思っています。

これ、無料なんですね。
でもここで勉強したことが、その後の講座に必ず生きてくるから不思議です。
(アドラーやってるんだから当たり前か・・・)


昨日の勉強会のテーマは「トラウマとショックについて」
p206~ 4 精神病理とライフスタイル-外因性要素

 「フロイトはトラウマを語り、アドラーはショックを語りました・・・」
トラウマは客観的で普遍的なもの、ショックは主観的であり
ライフスタイルの産物であると筆者は述べています。

つまり「ある出来事」は
フロイトの考えではトラウマとして心にしっかりと刻印される事実となり、
アドラーの考えでは、あるライフスタイルを持ち合わせた人に対してはショックとして
主観的に感じられ、それは記憶としてある目的を持って引き出され、繰り返し使われるものとなるのです。
ショックが、
ライフタスクを避けるため、直面しなくてすむための方便として使われる、というのです。

でも、
主観的でありライフスタイルの産物であるショックは「客観的な事実」ではないのだから
(出来事が事実であったとしても)
それを理由に人生のあゆみを止める「必要はない」というのです。

いきなり
「使ってるでしょ~」
なんていわれたら、きっとショックでしょうね。
だから
その出来事がその人にとっていかにショックであったかについて
共感的に理解することは必要なことだと思います。
(カウンセリングでは共感的に傾聴しながら情報収集をする段階)
でも、その後、どこかで「使っている」ことに気づくことがないと
「かわいそうな私」でい続けることになる。(直面化の段階)
ショックを理由にあゆみを止める必要はないと理解し、ライフタスクに
立ち向かえるように勇気づけていくことが大切なのでしょう。
(勇気づけの段階)

そんなことに気づくことが出来た、朝の自主勉強会でした。

トラウマに使われるのではなく
ショックにすがるのでもなく・・・

「出ておいでよ。海には楽しいものがいっぱいだよ。」           「だめだよ。大き魚に食べられてしまうよ。」
                  (スイミー / レオ・レイニ)


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。