なぜ、いい加減にやるのか? [教室]
課題に対していい加減にやったり、ふざけてやったり、また、そもそも取り組まなかったりする
そんな子どもが多くなってきた。
なぜいい加減にやるのか?
今日も数名の子どもたちと囲碁大会に行ってきた。
全員入門クラスだが、
2人の子どもが、いい加減、ちょっとふざけた感じで打っていた。
「そんなにいい加減でやる気がないのならやらないでよろしい。」
と一括してもいいところだが
その子たちがなぜいい加減に取り組んだかを考えた。
なぜか
理由は簡単である。負けた時のいいわけをつくるためである。
「僕だって本気でやれば強いんだ。でも本気でやる気しないし・・・」
一生懸命打って、負けたとき、その責任は全部自分にかかってくる。
その責任に耐えられないのである。
ではなぜその責任に耐えられないのか。
勝たねばならないと思っているからである。
失敗してはいけないという、完全主義が
彼をいい加減にする。
アニメ「ヒカルの碁」で佐為(さい)
が「負けた碁でも一局一局が、ヒカルの力になるのです。」
とヒカルを勇気づける。
失敗を恐れないのではなく。
もちろん、失敗を慰めるのではなく、
失敗から学ぶことを教えることが、勇気づけである。
机の上を散らかして、仕事ができないいいわけをしている自分を
鏡で見る。
そんな子どもが多くなってきた。
なぜいい加減にやるのか?
今日も数名の子どもたちと囲碁大会に行ってきた。
全員入門クラスだが、
2人の子どもが、いい加減、ちょっとふざけた感じで打っていた。
「そんなにいい加減でやる気がないのならやらないでよろしい。」
と一括してもいいところだが
その子たちがなぜいい加減に取り組んだかを考えた。
なぜか
理由は簡単である。負けた時のいいわけをつくるためである。
「僕だって本気でやれば強いんだ。でも本気でやる気しないし・・・」
一生懸命打って、負けたとき、その責任は全部自分にかかってくる。
その責任に耐えられないのである。
ではなぜその責任に耐えられないのか。
勝たねばならないと思っているからである。
失敗してはいけないという、完全主義が
彼をいい加減にする。
アニメ「ヒカルの碁」で佐為(さい)
が「負けた碁でも一局一局が、ヒカルの力になるのです。」
とヒカルを勇気づける。
失敗を恐れないのではなく。
もちろん、失敗を慰めるのではなく、
失敗から学ぶことを教えることが、勇気づけである。
机の上を散らかして、仕事ができないいいわけをしている自分を
鏡で見る。